執筆:ミキ(日本 / 2025年卒)
私は小学校の授業の一貫として「茶道」を経験することができた。茶道について何の知識をもたないまま、他の小一生と共に一列に並び、お茶室に初めて入った日、私はこれまで見たことのない張りつめた空気と、何とも言えない重厚な雰囲気を感じた。座る、立つ、お帛紗をさばく、道具を動かすという一つ一つの動作が、とても特別なものに見え、幼いながら、「美しい」と感じたことを覚えている。中学では、私は迷うことなく茶道裏千家部に入部届を提出した。部活初日、校舎の外れに隠れた茶室でおもてなしをする先輩方の姿は、実に耀いていた。私もいつか、先輩方のように、美しいおもてなしで周囲の方の胸を躍らせたいと思うようになった。

しかし、入部から数ヶ月が経った頃だった。茶道をよりよく知ると共に、私は以前思い描いていた茶道とは異なる「茶道」に気づいた。それは、全てに対する感謝の気持ちを表現する「茶道」だ。

感謝を表現する考えは、お作法にもはっきりと見られる。お客様は、お茶を飲み終えた後に お茶碗の模様や形を眺めることで、心を込めて作ってくださった職人の方々に感謝をする。拝見では、茶筌や茶杓の素材や、棗の模様と漆を鑑賞することで、亭主の心入れを察し、それに感謝をする。お茶を点ててくれた方に「頂戴いたします」という声がけをすることで、気持ちを込めて作って下さった亭主への感謝の気持ちを表す。そして、お茶をいただく際にも、感謝の意を込めてお茶碗を天に向かって捧げる。また、お茶を立てる亭主は、無駄のない美しい所作でお手前をすることで、相手に清々しく感謝の気持ちを伝える。これらの数々の感謝を表現するお作法の中でも、私が一番重要だと思うのは、お辞儀だ。私はお茶杓や棗に触る前に、何週間もかけて美しいお辞儀を練習した。まだまだ練習中だが、今思い返すと、美しいお辞儀に近づくことができて初めて、お茶室で感謝を表現できるようになったような気がする。中学の茶道部では、お客様の立場と、お茶を点てる立場を何度も経験したが、体験の回数を重ねる度に、茶道における感謝の重要性を実感していった。

茶道の理解がさらに深まったのは、新しく入学した全寮制高校の茶道部での経験だ。世界中の八十カ国以上から生徒が集まる高校での茶道の経験は、伝統的な一貫教育を提供する女子校での経験とはかけ離れたものだった。日本語が話せない友人たちに、声がけの発音や、先生方に対する礼儀を教えながらのお稽古は、ハプニング満載だった。初めの頃は、お稽古中に携帯を触り、先生のお話を聞かずにお喋りをする生徒への注意が大変だった。しかし、お稽古の数を重ねるにつれ、集中のかけらもなかった生徒たちが、嘘のようにお稽古中に目を輝かせ、お稽古に真剣に取組むようになった。その理由がどうしても知りたくて、思い切って尋ねてみたところ、彼らは茶道によって感謝の気持ちが十分になかった自分に気付いたことや、茶道が表す感謝の慣習に心を惹かれたことを話してくれた。茶道には、日本語や日本の慣習を知らない外国人にも感謝の心を深く伝える力があるということに気付かされた。

私が茶道を経験して改めて実感したのは、感謝の気持ちを常に持ち、それをできるだけ相手に表すことは、人間の心を豊かにしてくれるということだ。頃年、残念ながら世界の分断は進みつつある。しかし、だからこそ、私たちは小さいことにも感謝をし、それを表してゆかなければいけないと思う。鎌倉時代から現代まで受け継がれてきた、日本人の素敵な文化をこれからも大切にしていきたい。
