東日本大震災のその後:釜石のためにできること

海の安全と保全のための教育

UWC ISAK Japan student lin speaking to Kamaishi High School studentsソ修凜(日本 / Class of 2020) が私たちに最初に伝えたことの一つが、人前でのスピーチが苦手であるということでした。それでも、ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパンを2020年に卒業後すぐ、彼女はAtlantic Pacific(アトランティック・パシフィック)のサマースクールで、200人以上の学生に海の安全、防災、海洋プラスチック汚染について、英語と日本語での授業をコーディネートし、実際に教えました。ソ修凜はそれ以降現在まで、Atlantic Pacificでプロジェクトコーディネーターを務めています。彼らの活動の拠点は、福島原発事故を引き起こした2011年3月の東日本大震災の影響を強く受けた、釜石市です。

2011年3月11日 2:46 PM

Rescue troops in Kamaishi, Japan, after the March 11, 2011 earthquake and tsunami2011年3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖76kmを震源地とするマグニチュード9.1の海底巨大地震が発生しました。2021年の公式発表では、死者19,747人、負傷者6,242人、行方不明者2,556人と報告されています。2015年時点でも、約228,900人が自宅を離れて仮設住宅で暮らしているとのことでした。本校2020年の卒業生の一人である壮吾は、故郷の釜石で祖母を震災のために亡くしました。この悲劇的な喪失は、彼に深い影響を与えました。そのため、彼が地元のために何かをしようとするのは当然のことでした。

釜石プロジェクト

UWC ISAK Japan students in Kamaishi with city official

この地域は今でも震災の余波に影響を受けています。2018年10月のプロジェクトウィークで、壮吾は持続可能な観光で故郷を活性化させる「釜石プロジェクト」を立ち上げました。そして、ソ修凜も他の生徒たちと共にこのプロジェクトに乗り出しました。 2019年12月、彼らは初めて釜石を訪れ、そこで出会ったのが、Atlantic Pacificチームでした。釜石プロジェクトは、2019年10月にラグビーワールドカップの来場者を対象に、現地での持続可能なツアーを開催することを大きな目標としていました。しかし、ちょうどその時台風が日本を直撃し、そのせいで生徒たちはせっかく苦労して立てた計画をキャンセルせざるを得なくなってしまったのです。

問題に直面する中で決断をする

Lin, UWC ISAK Japan class of 2020 student

しかし多くの生徒たちにとって、想定外の出来事はそれだけにとどまりませんでした。コロナウイルスの大流行という新たな問題が発生する中、ソ修凜は釜石で人助けを続けることを決意しました。Atlantic Pacificのチームはイギリスに拠点を置いているため、釜石でのサマースクール実施のために日本に戻ってくることができませんでした。そこで、卒業したばかりのソ修凜に、地域と連携し、日本語と英語によるプログラムのコーディネートと指導を任せることにしたのです。

人と地球の安全に貢献する

Atlantic Pacific Life boat in Kamaishi

Atlantic Pacificの取り組みは、「日本には、がれき地帯を航行できる救助ボートが存在しない」という基本的な認識から始まりました。創設者のRobin Jenkinsは、2014年に釜石を訪れてその状況を目の当たりにし、アクションを起こすことを決めました。

‘津波が過ぎ去った夜、被災者たちは他の人たちを探しに行きました。そこで彼らが見たものは、ほとんどの人の理解を超えるものでした。捜索中、凍てつくような冷たいがれきの中から、海に流された人たちの悲鳴や泣き声が聞こえてきたのです。何もしてあげられないと思いながら、救助隊は浜辺から、亡くなっていく人々の消えゆく叫び声を聞くだけでした’

この悲劇を二度と起こさないための魔法のような解決策はありませんが、Atlantic Pacificは「困難な状況下の救助ボート」というコンセプトを考案しました。根浜海岸にあるこの救助ボートは、釜石トライアスロン大会のサポートや、地元住民への海の安全に関する啓蒙活動も行っています。

ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパンでリーダーになる

UWC ISAK Japan Kamaishi project group working

“もし UWC ISAK Japanで学んでいなければ、この挑戦を受けることはなかっただろう” と、ソ修凜は考えています。彼女には軽井沢の学校で多くの良い思い出があり、今でもルームメイトとはやり取りを続けています。しかし、ソ修凜は人前で話すことに抵抗があり、その度に何時間も準備しなければならなかったという経験があります。そして今、それが毎日彼女がおこなっていることです。彼女は日々、他の生徒たちや釜石の人たち、その他の関係者と対話しています。彼女にとって、このプロジェクトで釜石を訪れることはまた、2011年3月の震災で大きな被害を受けた東北地方を初めて訪れることでもありました。そして、自分が地域のためにできることはすでにたくさんあるのだということを確信しました。

持続可能な未来

Nebama beach in Kamaishi where Atlantic Pacific project have their Lifeboat in a box

将来何をやりたいのか、ソ修凜はまだ定かではありません。元々彼女は、イギリスのロンドン大学SOASでマネージメントを勉強しようと計画していましたが、Atlantic Pacificで1年働くため入学を辞退しました。現在彼女は、マネージメントとサステナビリティを学ぶため日本の大学に出願していて、9月の入学を予定しています。今のところソ修凜は、Atlantic Pacificのスプリング及びサマースクールと、オーシャン・リバイバル・コンペティションに注力しています。このコンペティションは、若い人たちを鼓舞し、プラスチックによる海洋汚染の問題に対し素晴らしい取り組みを考えていくことを目的としています。
私たちは、ソ修凜の未来が思いやりに溢れ持続可能なものであることを願っています。

 

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